大判例

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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)1011号 判決

控訴人(原告)

大和ビルサービス株式会社

被控訴人(被告)

住友海上火災保険株式会社

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金九拾弐万五千円およびこれに対する昭和四五年拾月参拾壱日以降右金員完済に至るまでの年六分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟の総費用は、これを五分し、その四を控訴人、その余を被控訴人の各負担とする。

三  この判決は、控訴人勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金五〇八万円およびこれに対する昭和四五年三月一八日以降完済までの年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠の関係は、次のとおり付加するほかは原判決事実摘示と同一である。

(控訴代理人の陳述)

(一)  本件事故に関して自動車損害賠償保障法による保険金として、被害者訴外青島輝和に対して金一二五万円、控訴会社に対して金五〇万円、以上合計金一七五万円の支払がなされた。

(二)  控訴会社が昭和四六年三月二三日に成立した起訴前の和解に基き青島輝和に損害賠償として支払つた金三七三万円のうち逸失利益金八二万円、後遺症慰藉料金五二万円および精神的苦痛に対する慰藉料金二三九万円の各算出根拠は次のとおりである。

(1)  逸失利益金八二万円

輝和が本件事故のあつた昭和四三年九月一五日当時控訴会社から支給を受けていた月給は金五万円であつた。ところで、控訴会社では、その従業員に対する給与は、毎年一月から金一万円宛昇給することになつていたところ、輝和は本件事故による傷害の治療のため稼働することができず、昭和四六年一月から復職したものの同月および翌二月は充分健康が回復していなかつたため、それまで引続き月給は金五万円のまゝ据置かれ、ようやく同年三月から前記割合による昇給を見込んだ月給金八万円が支給されることとなつた。よつて輝和は、本件事故のため、昭和四四年一月から昭和四六年二月までの間の昇給差額分合計金四二万円の支給を受けることができなかつた。

また控訴会社では、その従業員に対し、毎年夏期および年末の二回に賞与が支給され、その額は夏期は基本給の一箇月分、年末は一・五箇月分であつたから、前記昇給額をみこんだ月給額を基準とする輝和の昭和四三年末以降昭和四五年末までの得べかりし賞与額は合計金四〇万円となる。

以上の合計が金八二万円である。

(2)  後遺症慰藉料金五二万円

輝和の本件事故による傷害の程度は、自動車損害賠償保障法施行令第二条による後遺障害の等級表の五級に該当するから、その慰藉料額は金一七七万円であるところ、この金額から輝和に支払われた前記自動車損害賠償保障法による保険金一二五万円を控除した残額である。

(3)  精神的苦痛に対する慰藉料金二三九万円

輝和は、本件事故による傷害のため、入院二一箇月および通院五・八箇月の治療を要したため、その精神的苦痛に対する慰藉料額を入院一箇月につき金一〇万円、通院一箇月につき金五万円の割合で計算した金額である。

(三)  本件事故に関して自動車損害賠償保障法による保険金として控訴会社に支払われた金五〇万円は、青島輝和の治療費合計金九五万五、六九二円の一部に充当された、と述べた。〔証拠関係略〕

(被控訴代理人の陳述)

(一) 本件事故に関して自動車損害賠償保障法による保険金が、控訴人主張のとおり支払われたことは認める。

(二) 控訴会社がその主張のような損害賠償を青島輝和にしたこと、輝和の治療費が控訴会社主張のとおりの金額であることは、いずれも不知である、と述べた。〔証拠関係略〕

理由

一  控訴人は、その所有にかかる自家用普通乗用自動車(登録番号品川五せ三三八号)について、その主張のとおり、被控訴人との間に自動車保険契約を締結していたところ、その保険期間内である昭和四三年九月一五日午前二時三〇分頃、控訴人の従業員訴外大仁秀雄が右自動車を運転中、控訴人主張のとおりの自動車事故を生ぜしめ、右自動車に同乗していた訴外青島輝和がこの事故のため、控訴人主張のとおり受傷したことは当事者間に争いがない。

二  よつて訴外青島輝和の受傷の原因である上記事故が発生した当時本件自動車がその所有者である控訴人のために運行の用に供されていたものとすべきか否かについて検討する。

〔証拠略〕を総合すると、控訴会社は建物の管理、装備および清掃、清掃用具の販売並びにこれらに付帯する事業を目的とする株式会社であるが、本件自動車は、控訴会社の所有する二台の自動車のうちの一台であつて、控訴会社においてはこれらの自動車を会社と作業現場との間における作業員の往復や作業用具の運搬に使用し、平常は会社の事務所に設けられている車庫に格納されていたこと、また、控訴会社は、いわゆる同族会社であつて、青島輝和は控訴会社の代表取締役青島文男の二男で、控訴会社の取締役に就任していたとはいうものの控訴会社の他の常勤の従業員と同様に、控訴会社から月給を支給されてビル清掃の現場業務に従事しており、日常、会社への通勤には自己所有の単車を使用し、控訴会社から自動車で送り迎えをして貰うようなことはなかつたこと、輝和は、本件事故発生の前日である昭和四三年九月一四日午後一一時頃、前記訴外大仁秀雄とともに本件自動車を使用して作業現場から会社に戻つた上で近くの飲食店で食事をとつたのであるが、食後大仁から知人の働いているトルコ風呂に行つてみようと誘われ、自ら本件自動車を運転し、これに大仁を同乗させて新橋方面に向つたが、目的のトルコ風呂を尋ね当てることができなかつたため行先を変更し、輝和の知人がマネジャーをしている五反田方面のトルコ風呂に赴いたが、知人のマネジャーが不在であつたため、再度行先を変更して、輝和の自宅に帰る途中で新宿方面のトルコ風呂に立寄るべく引続き本件自動車を運転して新宿方面に向う途中、目黒区内で道路工事の標識に車を衝突させ、付近に停車中の自動車と接触事故を起したことから、大仁が輝和と交替して本件自動車を運転して進行するうちに本件事故が発生するに至つたものであること、およそ以上の事実が認められる。〔証拠略〕のうち、以上の認定と牴触する部分は、〔証拠略〕の記載と対比してたやすく措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によると、本件自動車は、事故発生の際、控訴会社の業務のために運行されていたのではなく、輝和と大仁が同人らの私用に供していたものであることが明かである。然しながら、右両名が本件自動車を以上に認定したように私用に供するについて控訴会社の明示の承諾を得たとの証拠はないけれども、他面控訴会社においてその所有自動車を従業員が私用に供することを固く禁じ、その管理を厳重にしていたとの証拠もまたないのであり、更に、大仁が控訴会社の従業員であつて、控訴会社は本件自動車の使用についても大仁に対する指揮監督権を有するのみならず、控訴会社が前認定のとおり同族会社であつて、輝和が控訴会社代表者の二男で、名目上は控訴会社の取締役であつたことをも併せ考えれば、輝和が業務終了後、右に認定したように本件自動車を私用に供したことが控訴会社の意に反するものとまでは認め難く、控訴会社は、本件事故発生当時なお本件自動車の進行を支配する関係にあつたものと解するのが相当であり、本件事故を、控訴会社が本件自動車の占有を奪われる等本件自動車の運行に対する支配を失つた過程において生じた事故と同一視することができないことは明かというべきである。しかして、自動車損害賠償保障法第三条の規定による自動車保有者の損害賠償責任発生の要件としては、当該自動車が保有者の業務上の必要のために運行されている過程において事故が生じたこと、その他事故発生の原因となつた当該自動車の運行が保有者になにらかの利益をもたらす性質のものであることは必要ではなく、当該自動車が保有者の管理下にあつて、保有者が当該自動車の運行に対する支配を保持している過程において加害の原因たる事故が発生すれば足りるものと解すべきである。しかして本件においては、偶々大仁が輝和と交替して本件自動車を運転しているうちに事故を生ぜしめ、よつて同乗者輝和が受傷するに至つたのであるけれども、控訴会社が損害賠償の責任を負う関係においては、輝和が運転中に事故を生ぜしめ、大仁をして受傷せしめた場合と異なるところはなく、更に輝和または大仁が運転中に第三者、例えば通行人に本件自動車を衝突せしめ、よつて右通行人をして受傷せしめた場合と区別すべき理由はないものと考えられる。

被控訴人は、訴外輝和は本件事故当時自己の用途のために控訴会社の従業員である訴外大仁をして本件自動車を運転せしめ、自らこれを運行の用に供していたものであるから、控訴会社は被害者である輝和に対し損害賠償の責任を負わず、被控訴人も本件保険契約にもとづく保険金支払の義務を負わない旨主張するけれども、この主張は、右に説示した理由により当裁判所の採らないところである。また、被控訴人は、控訴会社との間の保険契約約款第二章第三条第一項第四号を根拠として保険金支払の義務がない旨主張するけれども、本件事故が輝和および大仁において被保険者たる控訴会社の業務に従事中に生じたものでないことは、右に認定したとおりであるから、右主張もまた採用の余地がない。

以上の次第であるから、控訴会社としては、自動車損害賠償保障法第三条但書の免責事由の証明がないかきり、同条本文の規定により、本件事故によつて輝和が被つた損害を賠償する義務を免れることができない理である。

三  ところで、控訴人は、輝和の昭和四三年一〇月一日から昭和四五年一二月三一日までの休業損害として合計金一三五万円を賠償した外、起訴前の和解により逸失利益、後遺症慰藉料および精神的苦痛に対する慰藉料として、輝和に対し合計金二三九万円の賠償義務を負担するに至つた旨主張するので、被控訴人が控訴人に対していかなる限度でこれらの損害について填補の責任を負うものとすべきかについて以下検討する。

(一)  休業損害および逸失利益

〔証拠略〕を総合すると、輝和は本件事故による受傷当時控訴会社から一箇月金五万円の給料を支給されていたこと、控訴会社は毎年七月一五日に給料の一箇月分、一二月一五日に給料の一・五箇月分の手当を従業員に支給していたこと、輝和は本件事故による傷害のため働くことができず、給料の支給を受けることができなくなつたため、控訴人は、右休業損害の賠償として輝和に対し昭和四三年一〇月一日以降昭和四五年一二月末日まで、一箇月金五万円の割合による合計金一三五万円の休業補償金を支払つたこと、輝和は昭和四六年一月から再び働くこととなつたが、当初は充分に働くことができなかつたため、同年一月分および二月分として各五万円、同年三月分以降一箇月金八万円の割合による給料の支給を受けていること、然し賞与については、控訴会社においては毎年夏季に基本給の一箇月分、年末に基本給の一・五箇月分に相当する金額が支払われることになつていたところ、輝和は、昭和四三年七月一五日に金五万円を支給されたのみで、その後は昭和四五年一二月末日までその支給を受けていないこと、およそ以上の事実が認められる。なお、控訴人は、控訴会社では従業員は毎年一月に金一万円宛昇給することになつていた旨主張するが、右事実を認めるにたりる証拠はない。

右認定の事実によれば、輝和は本件事故による受傷の結果合計金一三五万円の休業損害を被つたものというべく、控訴会社においてこれが賠償をした以上、被控訴人は右損害を填補すべき義務があるものというべきである。しかしながら、控訴会社がその主張する起訴前の和解により賠償の義務を負うに至つた輝和の逸失利益については、一箇月の給与額を五万円として計算した昭和四三年一二月以降昭和四五年一二月までの間における夏期賞与二回分金一〇万円および年末賞与三回分金二二万五、〇〇〇円、右合計金三二万五、〇〇〇円の限度において、被控訴人にこれが填補の責任があるものというべく、右限度を越えては填補の責任がないものといわなければならない。

(二)  慰藉料(後遺症慰藉料および精神的苦痛に対する慰藉料)〔証拠略〕を総合すると、輝和は本件事故によつて骨盤骨折、左股関節脱臼、左下腿挫創(左腿骨神経麻痺)の傷害を受け、後記認定のとおり各病院に入院或いは通院して治療を続けた後、昭和四六年一月再び稼働するようになり、当初は充分に働けなかつたが同年三月頃からはほゞ受傷以前の労働能力を回復し得たこと、昭和四四年四月一〇日骨盤骨折および左腿骨神経麻痺による左下股機能障害により身体障害者等級表による級別五級の身体障害者手段の交付を受けていることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。右認定の事実によれば、輝和の本件事故による後遺障害は、昭和四一年政令第二〇三号による自動車損害賠償保障法施行令第二条別表の五等級に該当するものということができる。

また、〔証拠略〕を総合すると、輝和は本件事故によつて蒙つた傷害の治療のため、昭和四三年九月一五日から同年一二月一五日まで春山外科病院に入院し、同年一二月一六日から昭和四四年二月二七日まで大蔵省印刷局東京病院に入院し、その後昭和四五年二月二四日まで同病院に通院(診療実日数八六日)して治療するとともに、同年一月二一日から同年四月三〇日まで東京慈恵会医科大学附属病院に入院して治療していることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はないから、その間において輝和が蒙つた精神的苦痛は少くないものと認められる。

然しながらさきに認定したとおり、輝和および大仁は、互に意を通じて同人等の私用のために本件自動車を用い、偶々大仁が輝和と交替して運転に当つていた際に本件事故を生ぜしめたものであること、更に〔証拠略〕によれば、輝和は大仁の運転技術が未熟であることを承知していたことが窺われることをも斟酌すると、本件事故によつて輝和が控訴会社に対し賠償を請求し得べき慰藉料の額は、後遺症に対するものと精神的苦痛に対するものとを総合して金五〇万円とすることが相当であり、従つて被控訴人は、輝和の本件事故による慰藉料の請求については、右金額の限度においてのみ控訴会社に対し填補の責任を負うものというべきである。

四 以上三(一)および(二)において説明したとおり、控訴会社が本件交通事故による損害の賠償として輝和に対して既に支払い、または支払の義務を負うに至つた金額のうち、被控訴人が控訴会社に対して填補の責任を負うのは、休業損害金一三五万円、逸失利益金三二万五、〇〇〇円および慰藉料金五〇万円、右合計金二一七万五、〇〇〇円である。然るところ、本件交通事故につき自動車損害賠償保障法による保険金として控訴会社に対し支払がなされたことについて当事者間に争のない金五〇万円が全額輝和の本件事故による傷害の治療費に充てられたことは本件弁護の全趣旨から明かであり(なお、控訴人は本件において治療費については填補を請求していない。)、また、同じく右法律による保険金として輝和に対し支払がなされたことについて当事者間に争のない金一二五万円が後遺症に対する賠償であることは、〔証拠略〕によつて明かであるから、右金一二五万円は、上に認定した被控訴人が控訴人に対して填補の責任を負うべき金二一七万五、〇〇〇円よりこれを控除すべく、被控訴人が控訴会社に対し本件自動車保険の契約に基き支払いの義務を負うのは、右の残額金九二万五、〇〇〇円の限度に止るものとすべきである。されば、控訴会社が輝和に対し休業損害金一三五万円の支払をした外、東京簡易裁判所昭和四八年(イ)第一三四号事件の起訴前の和解により輝和に対し、合計金三七三万円(内訳逸失利益分金八二万円、後遺症慰藉料差額分金五二万円、精神的苦痛に対する慰藉料分金二三九万円)の支払をなすべき義務を負うに至つたことが認められるが、右和解は被控訴人を拘束する効力はないのであるから、控訴会社の本訴請求は右認定の金九二万五、〇〇〇円およびこれに対する遅延損害金の支払を求める限度においてのみこれを正当とすべきである。しかして、〔証拠略〕によれば、控訴人は遅くとも昭和四五年九月末日までには必要書類添付のうえ、被控訴人に対し本件事故に基く損害填補の請求をしたことが窺われ、また成立に争いのない甲第三号証によれば、被控訴人はその後三〇日以内に保険金を支払う義務があることが認められるから、被控訴人は控訴人に対し金九二万五、〇〇〇円およびこれに対する昭和四五年一〇月三一日以降右金員完済に至るまでの商事法定利率年六分の割合による金員の支払義務があるというべく、これと結論を異にする原判決は一部不当である。

よつて民事訴訟法第三八四条第一項および第三八六条の規定によつて原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき同法第九六条および第九二条本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条の規定を適用し、主文のとおり判決する。

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